今日「大陸横断鉄道の父」と呼ばれているのはセオドア・ジュダである。ジュダは1852年に設立されたサクラメントバレー鉄道において主任技術者を務め、鉄道建設を監督していた。この過程で、ジュダはサクラメントからシエラネバダ山脈を越えて鉄道を建設できると確信し、自らこの仕事を推進したいと考えるようになった。程なくサクラメントバレー鉄道は倒産する。ジュダは1856年にワシントンD.C.へ行き、連邦議会へのロビー活動を経験した。提案書を書き、閣僚や議員その他の影響力のある人々へ配布した。
1859年9月、サンフランシスコで第1回の太平洋鉄道会議が開催され、ジュダはロビイストとして選任された。12月にワシントンDCへ戻り、キャピトル・ヒルのビルの一角にオフィスを構えた。太平洋鉄道会議を代表してジェームズ・ブキャナン大統領と面会し、連邦議会でも発言した。1860年2月、アイオワ州選出の下院議員サミュエル・カーチスによって最初の法案が提出されたが、このときは関連法案を成立させられず、ものにならなかった。
1860年、ジュダはカリフォルニアへ戻り、シエラネバダ山脈を鉄道で越える経路の調査にあたった。同じ頃、鉱山技師のダニエル・ストロングがシエラネバダ山脈を馬車で越える経路を発見していた。この経路は鉄道の経路としても適していた。ストロングはジュダへこの発見を示し、後に彼らは共同で商人や企業家からの出資を募るための組合を設立した。11月、サクラメントの富裕な商人コリス・ハンティントンは、ジュダの説明を聞いてその重要性をすぐさま理解し、4人の出資者を集めて理事会を設置した。理事会のメンバーは彼の事業仲間のマーク・ホプキンズ、宝石商のジェームズ・ベイリー、食料雑貨商のリーランド・スタンフォード、呉服商のチャールズ・クロッカーであった。
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1861年1月から7月にかけて、ジュダとストロングら10人のチームはシエラネバダ山脈の横断経路を調査し、一方でリーランド・スタンフォードはワシントンでリンカーン大統領と面会した。連邦議会の特別会合が召集され、太平洋鉄道法案がカーチスによって再提出された。しかし、連邦議会は南北戦争の問題で手一杯であったため、法案は次の会期まで持ち越しとなった。10月、ジュダは下院の太平洋鉄道委員会の書記官に任命され、カリフォルニア州選出の新人下院議員のアーロン・サージェントと共に法案の通過に尽力した。
1862年、太平洋鉄道法案は5月6日に下院を、6月20日に上院を通過し、7月1日にリンカーン大統領が署名した。同法は東からユニオンパシフィック鉄道、西からセントラルパシフィック鉄道に大陸横断鉄道の敷設を求めるものであった。連邦政府による支援策としては、用地の使用許可に加えて、各社に平地においては鉄道の建設1マイルあたり 1万6,000ドル(1メートルあたり 9.94ドル)、丘陵地においては同 3万2,000ドル(同 19.88ドル)、山地においては同 4万8,000ドル(同 29.83ドル)の補助金が給付されることが定められた。
1863年1月8日、カリフォルニア州知事となっていたリーランド・スタンフォードの出席のもと、サクラメントで着工記念式典が開催された。どちらの会社がより長い線路を敷設できるか競争が始まった。